ゲストランナー・アンバサダー

ゲストランナー

立命館宇治高校から旭化成に入社、'96年アトランタオリンピック1万メートルで5位入賞、'97年アテネ世界選手権1万メートルで日本女子トラック長距離種目初となる銅メダルを獲得するなど、日本女子長距離界のトップ選手として国際舞台で活躍。マラソン転向後はけがに苦渋し、新天地での再挑戦を決断。小出義雄氏に師事した。2度目の世界選手権ではマラソンに出場し、銅メダルを獲得。世界で初めてトラック、マラソン両種目のメダルを手にした。
第一線を退いた後は、ゲストランナーとして全国のマラソン大会に出演する他、「千葉真子BEST SMILE ランニングクラブ」を立ち上げ、市民ランナーの指導や普及活動も積極的に行っている。
■「千葉真子BEST SMILEランニングクラブ」 キャプテン
■宇治市観光大使
■岐阜県大垣市 芭蕉元禄の街 大垣 交流大使
■京都マラソン 応援大使
■ちばアクアラインマラソン PR大使
■日本オリンピック委員会「オリンピック教室」 出演
■日本サッカー協会「こころのプロジェクト」 夢先生
■ 東京都 こころの東京革命「こころのチャレンジプロジェクト」講師

略歴
■1995年-1997年  10000m時代(自己ベスト31分20秒46 歴代9位)
  アトランタオリンピック(5位入賞)、世界陸上1997(銅メダル)、日本陸上選手権(3位)
■1997年-2006年  マラソン時代(2時間21分45秒 歴代4位)世界陸上2003(銅メダル)
 シカゴマラソン2009(3位)、東京国際女子マラソン('99年5位=初マラソン '04年4位入賞)
  北海道マラソン優勝3回('01年 '04年 '05年=大会記録更新)
■2006年 現役引退(ラストラン:北海道マラソン)

オフィシャルアンバサダー

日本体育大ではレスリング部に所属し、全日本学生選手権で優勝。輝かしい実績を携え1992年、新日本プロレスに入門。同年9月デビュ-。2002年、安田忠夫を破りIWGPヘビー級王座を獲得。その後、高山、藤田、蝶野、バーネットらを相手にベルトを守り続け、連続防衛”V10”という偉業を達成。“ミスターIWGP”と呼ばれ日本を代表するレスラーの1人となる。また新日本、全日本、ノアというメジャ-3団体のタッグタイトルも総ナメにした。2007年には、4年振りにIWGPヘビー級王座を載冠。2011年、新日本プロレスのNEW JAPAN CUP&全日本プロレスのチャンピオン・カ-ニバルと春の祭典ダブル制覇! 16年には第11代NEVER無差別級王者となるなど、衰えを知らないアラフォー戦士。


小学5年の時、テレビでロス五輪を見て衝撃を受け、レスリングを志すが、近くにクラブがないため中学まで野球を続ける。高校入学後にレスリングを始めるも、全国大会への出場は叶わず。高校時代は全くの無名選手であったが、より強くなりたいとの思いで当時大学ナンバーワンであった日本体育大学に進学。その後持ち前の『努力』を発揮し、大学3年生の時に、全日本学生選手権優勝、学生日本一となる。
卒業後もレスリングを続けるために警視庁に就職。24歳の時に全日本選手権初優勝(以後6連覇)2000年夢であったシドニー五輪に出場を果たし、銀メダルを獲得する。
より活動の幅を広げていきたいとの意向で、警視庁を退職、新日本プロレスに入社。2004年、2大会連続となるアテネ五輪に出場するも階級アップ(74kg級)の影響もあり、予選リーグで敗退。
プロ総合格闘家へ転向。大晦日K-1ダイナマイトでデビュー戦を見事勝利。2010年には新日本プロレスを退社し、調布市仙川に格闘スポーツジム・レッスルウィンをオープン。経営者および、指導者しての活動を始め、2014年にキッズレスリングで、念願であった初の全国大会優勝者を輩出。現在は、3人の子供の子育てにも奮闘中。
先日、2015年4月に創部される、日本ウェルネススポーツ大学 レスリング部の初代監督に就任し、今後2020年のオリンピックに向け選手の発掘、育成にも本格的に取り組んでいく。

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